仏経、宗派、念仏宗などや日本の宗教観

日本人は無宗教だ〜なんて話を聞くことは多いですが、その実、そんなことはまるで無いっていうのがよくわかることは多々あります。無宗教だなんて言われる理由は、そういうことではなくて宗教的なルーツのものごとにたいしての認識が甘いだけです。たとえば、西暦なんてモロに宗教色のかたまりですよね?でも当たり前のように使っている。無宗教なら西暦なんて使わずに、皇暦か和暦で十分なんですから。ほかにも、祈る行為であったり、食事の際の言葉だったり、念仏宗などの仏経色やキリスト教色、神教などの影響が如実に感じられることは、本当に多いんですよ。場合によっては、流行に関しても宗教的な慣習がフューチャリングされて、まるで新しい価値観かのように取り沙汰される事もあります。ちなみに、仏経でも念仏宗は比較的新しい宗派のようですね。今世紀に入ってから生まれた宗派なんだそうで、基本的な観念としては、既存の仏経を踏襲しつつあるようです。

日本人と宗教と念仏宗などの仏経について

日本人と宗派との関わりはそんなに深くなく、信心なんてものとは無縁の人々が大半なのか?というのが一般論などではない。なぜなら、ひとは何か目標や指針がなければどこにも向いて歩けない存在であり、どのようにして走るのかすら見失ってしまいがちな生き物だからだ。だから、心のどこかに規範を設ける。それが念仏宗などの仏経なのか、はたまた神教なのか、キリスト教なのかイスラム教なのか創価学会なのかはわからない。だが、少なくともどの国においても宗派や宗教はいろいろな形で存在し続けていて、開祖がどのような目的で生み出したのかは別として、過去から現代に至るまで、人としての正しい生き方を説く事には変わりない。仏経にしてみても、念仏宗で用いられている訓戒は極めて当然の事が記されている。しかし、そんな当たり前の事は、意外なほど簡単に揺らいでしまうものなのだ。それが人間という極めて柔軟性の高い、逆に言えばあらゆることに染まりやすい存在なのだ。